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サクセス思考のジレンマと幸福について

(こちらのコラムは2015年10月に寄付者の方にお送りした
メールマガジンを一部加筆編集したものです。)

生産性を周囲の人より
高くだして勝利することを幸福に思う
それを一番の価値としているものを
「サクセス思考」という事にここではします。
(大なり小なり、多くの人が
こういった価値観/思考の枠組みをもっていると思われます。)

サクセス思考を持った人が満たされるためには
周囲より「できる」とか「持っている」
「勝っている」「美しい」などの
他者評価が必要になります。

そうすると自分が幸福になるためには
「(他者に)勝る」ことが全てになるので
生産性をあげることに必死になります。

これらのサクセス思考は
当然「競争の中」で生じるものですから、
競争相手が必要です。競争相手の中で
自分のポテンシャルを引き出そうと努力します。
そういう意味においては私たちの可能性を
引き出してくれるものとも言えます。

しかしこれらのサクセス思考が陥りがちなのは
それらを人間の価値としてそのまま
考えてしまう事です。

例えば「遠藤君はクラス1勉強ができて素晴らしい」
「近藤さんは営業成績が一番。素晴らしい。」
それだけだったらまだいいかもしれません。
実際に素晴らしいのです、彼らは。

しかし、彼らの営業成績が高いのも低いのも
偏差値が高いのも低いのも、相対的なものですから
佐藤君、遠藤さんが生まれるには
「勝てない人が必ず必要」になります。

能力の高さとは相対的なものにすぎないので
低い人がいて、初めて成り立ちます。

問題になるのは、成績が優秀、生産性の高さ、美しさ
そういったものを、人間的な価値に直結しようという
価値観がでてくるということです。

「もっとがんばれ」ではなく
「お前は(成果をあげられないから)
どうしようもない人間だ」と言われてくると
話は変わってくるのです。

自尊心を大きく引き下げられることになります。
これが全ての価値になると
人間的に肯定されるのは全てが条件付けとなります。
「~できるから~あなたはイイ、ダメ」という価値観です。

そういう価値観の中で育った大人が子供を
育てれればそうなってきます。

「小島さんはカワイイから~いい」
「浅田さんは勉強ができるから~いい」
逆もしかりです。

中学で一番の成績をとり、
周囲をさげすんでいた人が、偏差値の高い
高校に入れば、周囲は勉強できますから、
その中では高い成績をとれず、今度は
さげすまれることになります。

サクセス思考は
必ず敗者を必要とする事であり、
それは相対的で、環境、場所、時代(時空)で
異なります。そして常に「他者」との生産性との関係性や
その中で生まれてくる評価に依存するので、
ある意味で自分で幸せを決定できません。

そしてきりがない。

自分より「できる人」「持っている人」はいるからです。
幸せになるためにサクセスを求めているのに
サクセスにきりがないから、一つを得ても、また次、次と
キリがありません。3億円の豪邸にやっとすめても
まもなく10億円の豪邸に住む人が近くにいる事を知ります。
あの子よりもっとあっちの子の方がカワイイ・カッコいいから付き合いたい
そうして嫉妬が生まれ、いつまでも幸せを求めて
努力しているのに幸せになれないというジレンマが生じます。
なんだか被害者めいた気持ちにもなってきそうです。

例えば、私が交通事故にあって
下半身がうごかなくなったら、圧倒的に生産性は
落ちるかもしれません。

ですが、私の人間的価値も引き下げられるべきものなのでしょうか。
そもそも、人間が人間の価値を決めることなどできえないように
思えます。そもそも論として生産性って何に向かっているのでしょうか。

昨今話題の話でいえば、
人工知能が仮にまもなく人間の知能の1兆の1兆倍になったとしたら
人間は文字通り、生産性という意味ではゴミのような存在になります。
その時、私達は生産性の低いという理由でこの世界から
排除されても仕方がないでしょうか。

このような思考の先には
幸せではなく「虚無」が待っています。

追いかければ追いかけるほどサクセスは逃げていき、
いつまでも満たされず、他人と比較し、他人の評価を気にし、
嫉妬し、自分はこんなに努力しているのに、と怒り続けるのです。

私達は可能性に挑戦する姿に感動します。
スポーツなどを見て感動するのはそうだと思います。
お互い競合いポテンシャルを引き出しあっていくことは
素晴らしいことではあります。
競争することそのものが全ての悪で、
一緒に手をつないで徒競走をしようとは主張しません。

一方競争の中での
勝ち負け、優越が人間存在の価値そのものを決定しようという
とこまで思考が及ぶなら、それらのサクセス思考は
限定的に採用しないと多くの人が
幸せだと感じられなくなってきます。

ではこのような思考の癖がつきがちな
社会システムの中で
「僕たちがどう生きるかは」もっと
話し合い、考えていくべきことなのでしょう。

NPO法人OVA代表
伊藤次郎


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